病室のベッドに横たわる、その人自身の視点で。
見える、聞こえる、でも話せない。
その時間を、いちど体験してみませんか。
「もう、伝わらないかもしれない」
そう思って、足が遠のいたことはありませんか。
大切な人が話せなくなったとき、私たちはつい「もう分からないだろう」と関わりを諦めてしまいます。けれど──声も、手のぬくもりも、そばにいる気配も、ちゃんと届いているのかもしれません。
自分の最期のこと。大切な人のこと。
あるいは、もう見送った誰かのこと。
ふだん語る機会のないその時間に、そっと近づいてみる90分です。

死を「外から見る」のではなく、「本人として生きる」体験です。
ヘッドセットを着けると、あなたは病室のベッドに横たわる患者さん本人になります。目は開いていて、周りは見える。声も聞こえる。けれど、自分から言葉を発することも、体を動かすこともできません。
そこへ、娘さんや息子さんが見舞いに来ます。看護師さんが声をかけます。──そこでの感情のゆれを体験します。約7分の物語です。
立場のちがう、3つの物語を続けてご覧いただきます。
“伝える”とは。“そばにいる”とは。
同じ時間を、少しずつ違う関わりから見つめます。
そこで何に気づくかは、ひとりひとりの中に。
制作:日本コミュニケーションアカデミー(COMAC)× 四天王寺大学・前原研究室

いちばんの体験は、映像そのものより、そのあとの対話で生まれます。
「自分ならどう旅立ちたいか」。遠い概念だった死が、身体の感覚をともなって少し近づきます。
「会いに行こう」「いまのうちに伝えておこう」。これまで参加された方から、そんな言葉が自然と生まれています。
死をめぐる言葉が、こわばりから「自然でいい」「ギフト」へと、やわらかく変わっていきます。
※ これまでの体験会で見られた傾向です。感じ方は人それぞれで、「こう感じるべき」というものはありません。


はじめての方も、おひとりの参加も、どうぞご安心ください。
「終末期」への思いや、参加の動機を一人ずつ。
ここで場があたたまります。
VRをつくった背景と、操作の説明。
ひとつ見るごとに「どんな気持ちが湧いてきましたか」を分かち合います。
「どう旅立ちたいか/どう見送りたいか」をめぐって、ゆっくりと。
感想を分かち合って終わります。
死を語ることは、
生を深く感じること。
お寺は長いあいだ、亡くなった「あと」にご縁をいただく場所でした。けれど、まだ話せるうちに、後悔が生まれる前に──死について安心して語れる場をつくりたい。
そう思って、この会を続けています。
佛心寺 住職 新田 崇信

これまで、ケアに携わる方から、ご家族を見送った方まで。

VR機材のレンタルや、施設・団体への出張ワークショップも承っておりますので、
ご希望の方は お問い合わせ ください。

考えるきっかけは、きっと、ふだんの暮らしの少し外にあります。
あなたのための90分を、お寺でご一緒に。